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          古賀侗庵葬式目録写

 徳川幕府の昌平坂学問所(昌平黌、現湯島聖堂)の教授であった古賀侗庵が弘化4(1847)年1月15日60歳で死去。
 侗庵は幕府中枢にいた儒学者であったが開国を唱えた、世界の情勢に通じた第一級の知識人であった。
 塾頭として目録に名を連ねている阪谷希八郎は後に備中の興譲館(現岡山の興譲館高校)の館長となる
 阪谷朗廬である。この葬式目録は昌谷精渓や仁木永祐など昌平黌門下に回し写されたものである。
 幅15cm 長さ260cmの長いもの。


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