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  頼春水・頼山陽

 頼春水:文化13年2月19日没71歳 幼名は青圭、諱は惟完あるいは惟寛、字は千秋、
 伯栗、春水は大坂で用いた号で、江戸では霞崖と称した。通称は弥太郎。安芸の人。
 朱子学を幕府正学とさせ、林家の私塾を官学化し昌平坂学問所とした。頼山陽の父

 頼山陽:天保3年9月23日没53歳 名は襄(のぼる) 字は子成 号は山陽、三十六峯外史
 尾藤二洲に師事 古賀精里らとともに朱子学の研究を進める。
 主著の『日本外史』は幕末の尊皇攘夷運動に影響を与えた。


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