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加藤櫻老名は煕(ひろまる) 字は伯敬 通称有隣 別号に榊蔭(しんいん) 常陸笠間藩士沢正志斎、平田篤胤、藤田東湖らに水戸学を学び、昌平黌では佐藤一斎に朱子学を学ぶ。 幕末勤皇の志士、命を狙われ七人の公家と共に長州に逃れる(七卿落ちと言われている)。 右下の掛軸はこの時逃亡中の明石沖船中での詩、後維新成り明治の元勲伯爵となる。 命を懸けた大望を果たした澄み切った心境で明治17年11月12日死去 74歳 これらの書は東京で師事していた仁木清次郎が帰省の際拝領したもので加藤櫻老最晩年の書。 額装 「光風霽月」 コウフウ セイゲツ 宋史に有る周教願の言葉 何のわだかまりもなく清々しいことのたとえ 光風:雨が晴れあがった後に吹くさわやかな風、けしき 霽月:澄み切った月 瀧々落々光風霽月 気象明々気在天国同境界 癸未(明治16年)夏日仁木子帰省 告別聊題拙句代餞語 七十三歳 櫻老加藤煕拝呉 |